2つ目の入院時無報酬ケースについてです。
モトキさんは、関わった当初から要介護1レベルの認知症のある方で、ご主人と二人暮らしの方でした。
お金には余裕のある方で、今だと負担割合が2割になったんじゃないかな~。
この方、入院時、というより全般的に困難事例な方でした。
・ご本人が介護拒否
・夫も介護拒否
・たまに帰ってくる娘さんはお父さんのいいなり。
・・・という。
なので、最初のサービスが入るまでに時間がかかり、サービスが入ってからも唐突にサービス中止になり・・・という繰り返しでした。サービスはデイのみです。
同居の夫や妻が介護サービスに否定的な家で他に家族が同居していない場合は、こういうの多いです。とにかく、配偶者の気持ち1つな部分があって。
この家は、とにかくご主人が自分のやり方に固執される方で、デイも基本的には行かせたくない(迷惑をかけたくないとおっしゃってましたが、実際はサービスについて懐疑的だったと思います)というのが強く、我流の介護なので、衛生面がかなり問題でした。
それでも当初は歩行ができたので、たまに帰ってくる娘さんが離れにある浴室でお風呂に入れておられましたが・・・。
2~3年で認知症も進み、さらに持病の悪化等があって床につかれることが多くなりました。
はい、ここでまた、なかなかレンタルベッドを入れさせてくれないんですね💧
お金はあるのになああ。
年末近くになってご主人の介護が体力的に難しくなり、床ずれができてしまった段でやっとベッドとエアマットを搬入することに・・・。業者さんと布団から移すのに四苦八苦した覚えがあります。(本当に年末進行でギリギリでしたね、搬入・・・)
訪問看護もセットで導入しましたが・・・ご主人がねえ・・・拒否が強いですよねえ・・・。医師からはこのご主人では医療処置がこころもとないので訪問看護が必要と言われているのに・・・。
布団もね、おも~い綿の布団で本人を挟んでいます。せっかくのエアマットなのに。 いくら説明しても駄目なんですね。我流が一番なんで。
食事介助もかなり我流・・・誤嚥しないか心配でしたが・・・。
途中、訪問看護もご主人の都合で中止になったり・・・。復活したり。
そうこうしてまた1年くらいの間に、徐々に本人の容体も悪化。
特養もご家族と一緒に申込みしました。(これも中々進みませんでしたが)
適切なサービスが受けられないというある意味虐待に近いものがあったんですが、ついに救急搬送になります。
胃瘻にするかこのまま積極的な治療をせず看取りの段階に入るか・・・という感じでした。
娘さんの希望で転院しましたが・・・
ここからです。(無報酬は)
転院先の病院の意見は、ずっと病院に入院し続けることはできないのでどうするか1ヶ月ほどで決めましょうという感じでした。(このころは従前の入院期間と合わせて3ヶ月が上限)
なんせこの方は介護も看護も難しい(お任せしたらおそらく死期が早まる)介護者のみと同居しているので選択肢が限られます。
地域的に看取りに近い状態の方をすぐに入所させてくれる特養はないので、少し遠い療養病床のある病院に転院が現実的です。
娘さんが帰って介護・看護される(と数年前は言われていた)のも、それも選択肢です。
娘さんにも病院側からも私からもお話しし、カンファレンスも2回開き、病院から呼び出しも受け看護師さん等と話し合うこともありましたが、話が進みません。
帰郷される予定がどうもまだなようなので、それであれば最終兵器のサ高住ではどうだ??と提案はしてみるのですが・・・
とにかく煮え切らない返事ばかり。
「家では看護も介護も難しい。父ができない」
「転院は父が直接行けなくなる。」
なんというか、ずっとこの病院に置いてほしくてのらりくらりされているようだと病院からは報告がありました。
家に帰るのもなしサ高住でもないなら、
在宅のケアマネはお役御免ですよ。
なのに、病院はこっちにもがんがん連絡してくる。
結局、転院してから2ヶ月以上経過。そして、ついに容体がさらに悪化し、この病院で最期まで看る、ということになったと、婦長さんから連絡がありました。
最期の数週間は娘さんからも、ご主人からも電話連絡も何もなく、亡くなった連絡は病院からありました。
この病院、車でうちの事務所から30分くらいはかかります。電車で行くと1時間半くらいか??(駅までが遠い)
大方3ヶ月くらいは無報酬ですね(実際は在宅中もサービスの中断があるのでもっと)。カンファいくらしても退院しないんだから退院加算なしだし。
このモトキさんのケースは関わったデイと訪問看護事業所さんとうちの間では今だに話に出ます。あのご主人が強烈すぎると。
このご主人が介護申請されても私は受けないなあ。
どう考えても無報酬案件💧